人生にはさまざまな儀式がありますが、最後の儀式が葬儀であります。
葬儀は、「
告別式を行わずに、出棺してそのまま納骨することもありますが、これも葬儀です。
なぜ葬儀を行うのでしょうか。
私達はこの世に生を受けてから死ぬまでに多くの人々とのご縁ができます。
ご縁によってつながり、共に支え合って人生は成り立っていきます。
誰ともつながりが無く、誰の世話にもならず、孤立して生きているわけではありません。
お互いの存在を認め合い、心と心がつながる喜びを感じて生きているのです。
お釈迦様の三法印という教えの一つに「諸法無我」があります。
この教えは、私たちはみんなつながっているという “ 縁起 ” の教えを説いています。
例えて言えば、私が食べるパン、そのパンを焼いてくれたお店の人、パンの材料を運んでくれたトラック運転手、パンの原料となる小麦を育ててくれた人、パンを作るための道具を作ってくれた人、その道具を売ってくれた人・・・。
このように私が食べるパンひとつだけでも様々な人とつながっているのです。
実際にはもっと多くの人とつながっています。
私達が気づかないところで様々な役割を担う人がたくさん存在しているのですね。
そう考えてみますと、人生でどれだけの人とのご縁(つながり)があるのでしょうか。
身近な家族から遠くの国の知らない人達までつながっていることになります。
世界中の人とつながって助け合っている。こんなに素晴らしいことはありません。
感謝の気持ちでいっぱいです。
決して一人で生きていると勘違いしてはいけません。
だからこそ故人とご縁のある人達へ、故人の存在を知る人達へ、故人がお世話になったすべての人達へ、世に存在する命あるすべてのものへ「故人〇〇は生涯を終えました」と一人の尊い人生が終わった事実を一儀式として伝えましょう。
多くの人々とのご縁によって成り立つ人生だからこそ「葬儀」を行いましょう。
告別式を執り行う、執り行わないは様々な事情があると思いますので御遺族の判断になりますが、可能であれば行うほうが宜しいと思います。
また、故人の成仏、冥福を願うとともに業績や遺徳をたたえ、お世話いただいたことなどに感謝し、人の死を真摯に受け入れることで生命の尊さ、自分の生き方に結び付けていくという遺族側にとっても非常に重要な意味があります。
人と人の心を通わし、故人と生きている私たちの心を育む、心の供養なのです。
成仏するということは、「仏に成る」すなわち「仏様と同じ安らかな心に成る」ということですから、仏様の教えをいただき正しき仏の道に導かれますようにと、仏様が祀られているお寺で葬儀を行うことがとても大切です。
万松院では故人の成仏(冥福)を願い、仏様(仏教)の教えに基づいた葬儀を行います。また万松院では仏様の教えに基づき、初七日忌法要~七七日忌法要(四十九日忌法要)ならびに位牌開閉眼を繰り上げすることはしておりません。
その葬儀が残念ながら近年、歪曲化されてきており、人の命の尊厳が失われてきています。
現在は病院で死亡される方が非常に多いのですが、戸惑う遺族の方に特定の葬儀社を紹介する病院があるのです。患者さんが死亡する数時間前に病院から葬儀社へ連絡がいき、死亡と同時に別室で待機していた社員が遺族のもとへ現れるということもよくあるのです。
いろいろな関係者の話によると葬儀社から病院側に紹介料としてそれ相当のお金が支払われるということです。その紹介料は不透明ともいわれる葬儀料金に加算され遺族が負担することになるのです。組織として紹介したり、あるいは職員、看護師が行ったりするのですが、いずれにしても紹介料、契約料がもらえるということでその葬儀社を紹介するのです。これが一年間ではすごい金額になるようです。このような行為は死亡した患者さんが尊厳のない単なる金銭授受のための物体とされていると考えられます。
むろん、すべての病院、葬儀社がそうというわけではありません。遺族がご遺体を自宅へ移すのに病院側に葬儀社の紹介を頼んだところ、病院が紹介することはよくないので自分たちで葬儀社を手配するように指導するまともな病院もあります。
僧侶が葬儀社に「葬儀を自分のところに回してもらえませんか」とディベート(紹介料)を払い、葬儀社の専属になり雇われていることがあります。その僧侶は葬儀社から葬儀を紹介されると、遺族からいただくお布施(謝礼金)から何割かの紹介料を葬儀社、または葬儀社員(個人)に払うのです。まともなお寺、僧侶、葬儀社はこのようなことを致しません。お寺から遺族に良心的で信用・信頼できる葬儀社を紹介したり、また葬儀社から遺族に良心的で信用・信頼できるお寺を紹介することはありますが、お互いに金銭を授受して紹介するというようなことは決してありません。本物のお寺・僧侶であれば葬儀社の専属になったり、雇われるということはありませんし、あってはならない事なのです。
葬儀費用は同じ内容の葬儀であっても葬儀社によって違います。葬儀社によっては「割安ですよ」「特典が付きますよ」「お得ですよ」と積立や会員になることを勧め、実際安くなるのは祭壇などのごく一部で、総額では割高になる場合があるのです。親戚などの葬儀でそのことを知った方が積立ての解約を葬儀社に申しでたところ、「解約はできない」「積立金は返金できない」と言って、会員を欺く葬儀社があるのです。積立会員は解約できます。消費者生活センターにお問い合わせください。
以上述べました事の多くは水面下で行われ、知っている人は知っている、知らない人は全く知らないといわれます。
皆様も十分にお気を付けください。
「葬式には多額のお金がかかった。しかし一方ではほぼ同じ葬儀内容なのに非常に安くできたと聞いた。」
あるいは「葬儀費用が本当は全部でどれだけかかるのか、わかりにくく不透明だ。」とよく言われます。そこで、一般の方々が葬儀・告別式に関する費用にうといことに乗じて、ある冠婚葬祭互助会、葬儀社により、皆さんにはわからないような仕組みや方法でごまかして多額の葬儀費用(2倍から3倍)に設定されている場合が非常に多いのです。葬儀に関係する職種の人はおおかたそのことを知っています。けれども、何も言わない、知らないふりをしている人が多いのです。
ある互助会、葬儀社の積み立て会員になっている方(あなたやあなたの家族かもしれません)は、格安で葬儀ができる。あるいは積立金の倍額のサービスが受けられる。他の葬儀社とお寺では相当高くなる等の説明を受けて真に受けて契約して安心しています。
しかし契約書には、担当者が説明した内容とは異なり、あれこれと別途追加料金があると非常に小さい字で記載されています。いざ葬式となった時は非常に高い葬儀料金を請求されることがよくあるということをよく知ってだまされないようにと専門家も忠告しています。現在沖縄ではごまかされて被害を受けた家庭が非常に多いのですが、訴えるのも面倒臭くて泣き寝入りをする、もしくは自分達がごまかされたこと、被害を受けたことの事態を知らないというのがほとんどで、表ざたになっていないだけなのです。
ある葬儀社のパンフレット、チラシ等のプランは葬儀〇〇万円セット等とうたっていますが、実際にはこれまた〇〇万円とは別の追加料金があると小さな字で書かれていて、結局葬儀〇〇万円セット料金+〇〇万円を請求されることになるのです。このような不透明なセット料金で葬儀が全部まかなえるとは思わないほうが賢明と言えます。
万松院はこれまでもどうにか健全な葬儀が行われることを願い努力してきましたが、ここに葬儀費用を透明にして皆様にわかりやすく表示いたします。
この後に表記する『万松院を式場にして良心的な葬儀社を利用しての葬儀全費用の実例』は、平成22年1月以降、万松院を式場にして、万松院が推薦できる良心的な葬儀社を利用してのものです。
推薦できるのは、現在葬儀料金をあやふやにすることなく明確に表し示してくれた、つまりごまかしのない透明にしてくれた葬儀社数社です。
このようなことからも、ごまかされないように必ず万松院にて事前相談をしてください。
冠婚葬祭互助会、葬儀社の積み立てをしている会員の方、満期になっている方、途中の方もどうぞ万松院にご相談下さい。
S家 一般焼香者 約300人
合計総額 546,520円 別途追加料金一切なし |
O家 一般焼香者 約250人
合計総額 782,550円 別途追加料金一切なし |
M家 一般焼香者 約100人
合計総額 635,065円 別途追加料金一切なし |
K家 一般焼香者 約470人
合計総額 1,249,100円 別途追加料金一切なし |
※詳しくは万松院までお問い合わせください。
お供え物は故人に向けて供えるものですが、 故人が生前に好きなもので供えたら喜んでくれるようなもの、または、自分が好きで故人に供えたいもの、を供えることが最も大切なことです。
なぜなら、「故人は一人一人みんな異なる人間だからです。」
赤ちゃんで亡くなる子もいれば、20歳で亡くなる人もいて、60歳で亡くなる人もいて、100歳で亡くなる人もいます。
人も違えば、年齢も違うし、その人の好みも違います。
「亡くなった人はみんな同じだから」
「亡くなった人にはみんなこれを供えればいい」と、形やしきたりで供えるのではなく、故人の立場や気持ちになってみて「何を供えたら喜んでくれるかな」と考え、「これだったらきっと喜んでくれる」という心で供えることが大切なのです。
例えば、赤ちゃんで亡くなった子には、赤ちゃんが喜ぶようなおもちゃや、赤ちゃん用のおいしそうな食事や、その故人に合わせて心を込めたお供えをすることが真心がこもった供養になるのです。