沖縄の法事と心

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合掌-がっしょう     心の手を合わせる


右手は仏様、左手は迷える者(私)として合わす。
さらに片手は自分の心、もう一方の手は亡き人の心として合わす。



今からおよそ1900年前、中国は漢の時代に蔡倫(さいりん)という人が紙を発明しました。
紙は主に植物性の繊維を材料とし、苛性ソーダ(かせいソーダ)、あるいは石灰を加えて煮沸し、さらにつき砕いて軟塊(なんかい)とし、樹脂または糊(のり)などを加えてすいてできあがるようです。
現在のように大工場で大量生産ということではなく、やはり手作業で手間がかかり、できあがる紙の量も非常に少ないのです。そのため紙が発明された後も一般庶民にとっては、現在とは全く異なり思うようには使用することができなかったようです。
尾籠(びろう)な話で恐縮ですが、戦前、戦中、戦後まもなくまで沖縄では地域や家庭によっては大便の後のお尻の後始末に紙を使うことができず、木の葉などを使用したのです。
また、家庭によっては「みじくぶさー」といって一種の手水鉢(ちょうずばち)に水を準備しておいて、その水でお尻を洗って始末をしたようです。
日本各地においては昔は一般的には周囲にある竹を切り倒して、竹を裂いてヘラをたくさん作り、それを使用したのです。そのヘラのことを糞かきベラ(くそかきべら)と称しました。
太平洋戦争末期、沖縄から九州に学童疎開したことのある方の話によると、田舎の疎開先の便所には紙が一枚も無く竹ベラがたくさん置かれており、それでお尻の始末をし、その竹ベラは決して捨ててはならず、集めて風呂をたく薪(まき)として利用されたとのことです。
外国の砂漠地帯に住む人達は、周囲に大量にある乾燥した砂をそれに使用しました。仏教発祥の地・インドやその周辺の国々では、沖縄の「みじくぶさー」によく似ていて、左手で容器の水をかけてお尻を洗い、そして右手で水をかけて左手を洗い浄めたのです。そのため左手は不浄(ふじょう)な手とされ、右手は清浄な手とされるのです。その左手は迷いや不安、悩み事が多く、あやまちを犯すことの多い私達「凡夫(ぼんぷ)衆生(しゅじょう)」を表し、不浄となった左手を洗い浄める清浄な手とされる右手は、凡夫衆生の私達を導いてくださる立派な人格者の「仏様」を表しています。
右手左手が合わさるということ、すなわち合掌は、凡夫衆生が仏様と一体になること、すなわち信心(しんじん)といって仏の教えを信じて尊び守ることです。
このことを「仏に帰依(きえ)する」と言います。帰依することをインドでは「ナモー」と言うそうですが、2000年前に仏教が伝わっていった中国ではこれに「南無」という字をあてたのです。
仏に帰依することを「南無帰依仏(なむきえぶつ)」、お釈迦様に帰依することを「南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)」、阿弥陀仏には「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と言います。
「右手は仏様、左手は凡夫衆生として合わす掌(手)のなかにゆかしき南無の一声」であります。
また、亡き親や先祖などと、今生きている私達がお互いの幸福を祈り、お世話いただいたことなどに感謝し合う心を合わせます。
しかし、心というものは色・形がありませんので、心を目の前に形として差し出すことができません。そこで一時(ひととき)、色・形があり、目の前に形として差し出すことのできる片手を自分が亡き親や先祖などを思う心とし、もう一方の片手を亡き親や先祖などが自分や自分達を思う心とするのです。そうした手のことを心の手、手の心、それが平安時代に変化して掌(たなごころ)と言っています。掌という字は手のひらのことですが、訓読みでは「たなごころ」と読み、音読みでは「しょう」と読みます。「手を合わす」とか「手を合わせなさい」とよく言われますが、それは「心の手を合わせなさい」の略したものなのです。
すなわち亡き親や祖父母、先祖などとの切ってはならない心の絆、縁、思い合う心を合わすこと、一体となることです。それが合掌の意味です。




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