仏さまは、分け隔てることなくすべての人達の幸せを願っています
1613年(万歴41年)
琉球王家第二尚氏の菩提寺である円覚寺(首里)。その円覚寺の住職・カ翁周航禅師は住職を引退してから、現在の万松院付近に『岩頂山万松院』というお寺を建てて、隠居寺としてそこに住んだ。
1683年(康熙22年)
カ翁周航禅師が建てた岩頂山万松院の三代目住職・脱心祖穎禅師の時、当時の琉球王・尚貞王の冊封正使・汪楫が琉球にやってきた。その時に汪楫によって岩頂山万松院は妙法山蓮華院と寺名を改め、その蓮華院は脱心祖穎禅師から弟子の徳叟宗智禅師に引き継がれた。また脱心祖穎禅師のもう一人の弟子の東峰元仁禅師に万松院の寺名を譲り、東峰元仁禅師は首里崎山町に草庵(小さな簡易的な家)を建て、新たに天授山万松院と称した。そして後に場所を首里崎山町から名護に移した。名護のどこの場所にお寺を移したのかは正確にはわからないが、南島風土記によると名護市東江のジンガ森の南方の寺山と称する所にあったのではないかと記されている。
1706年(康熙45年)
東峰元仁禅師は、国頭村奥間に向氏国頭親方朝稘氏と奥間の民衆の協力を得て、民衆の無病息災、子孫繁栄を願う経塚を建立した。 (奥間の金剛山にその金石文が現存している。)
1719年(康熙58年)
尚敬王の冊封副使・徐葆光が琉球にやってきた。徐葆光は東峰元仁禅師に会うために名護にある万松院に向かったが、途中で断念した。その時の徐葆光の心情が『中山伝信録』に「天授山萬松院歌爲東峰上人賦」として記されている。徐葆光は東峰元仁禅師に一度も会うことはできなかったが、「天授山」の扁額を東峰元仁禅師に贈呈された(現存)。どのような経由で東峰元仁禅師に渡ったのかはわかっていない。
私(徐葆光)は、中山(首里)に萬松院という寺があり、以前には不き(脱心祖穎禅師)という名僧がいたと聞いた。彼は、詩の得意な痩梅・宗實と一緒に三人でよく詩歌を作っていた。元の僧英が残した白雲集が伝わってくると、それを手本とした。私はこの琉球で、ともに遊び詩を作ろうと思って海を越え捜しにきたのに、それもかなわない。汪楫の記したときからもう三十年以上たってしまい、来ることが遅かったのを嘆くばかりである。今では萬松院も蓮華院と名を改め、老僧たちは死んでしまいこの世にいない。ものみ台の下、高くそびえる松に悲しげに吹く風の音を聞きながら老僧たちのことをいくら思いしのんでも、再び生き返ることはないのだ。あっちこっち訪ね歩いて彼らの遺したものを探したが、遺骨さえあとかたもないようにすべて何もない。もう白髪頭の法嗣・東峰は院を名護に開き萬松院とした。
自分は、雪や大理石がうすい水色に広がるとてもこうごうしい所に住んでいると自ら言えるような所である。私は、名護の萬松院には行けなかったので詩を見せてもらうと、それは奥深いものがあった。一語一語があざやかですばらしく、筆跡も力強かった。私は自分の見識が狭かったことを知った。それほど独特の雰囲気があるものだった。私の仕事は萬里を旅し、水路も陸路も極めようかと思う程だが、それでも山海のすべてを見ることができたというわけではない。くつがぼろぼろになってしまい、名護の近くまで来たのにそこには行けない。しかし、ともに語りたく心はもうそこへ飛んでいっているのだ。白雲集には古詩が載っており、院を移しても詩作の志はずっと続いていく。法師にめんどうを言って更に絵を見せてもらう。その絵は、多くの谷を背景に、松風が空高くから落ちる滝の水を捲くように吹いているものだった。
尚敬王の冊封副使。中国長州の人。
1719年に来琉し滞在は約八か月。
歴代冊封使中もっとも多くの詩を残し、書にもすぐれ、「中山第一」の書は名高い。著作「中山伝信録」は沖縄だけでなく日本でも広く読まれた。
徐葆光より贈呈された「天授山」の扁額
1882年(明治15年)
名護に建てていた万松院がいつ首里に戻ってきたのかは不明だが、1879年(明治12年)廃藩置県により琉球藩が沖縄県になると、1882年(明治15年)沖縄県による社寺取調原書に、「首里崎山村万松院住職 松峯瑚堂(万松院8世)」とある。 現在の万松院の場所には当時『伍徳院(臨済宗)』というお寺があり、万松院は明治年間に現在の場所に移った。
1945年(昭和20年)
沖縄戦にて万松院の建物はすべて焼失。戦後徐々に復興し、1984年(昭和59年)梵鐘が鋳られた。
1951年(昭和26年)
首里のあらゆる所に戦没者の遺骨があった。地域住民の方々の協力によって万松院境内に戦没者5000柱を祀った。その祀った塔を「天衣無縫之塔(てんいむほうのとう)」という。
1973年(昭和48年)ごろに、天衣無縫之塔に祀っていた戦没者5000柱を那覇市識名(現・識名納骨堂)の『戦没者慰霊之塔』に移し、それから後に糸満市摩文仁の『国立墓苑』に移し、合祀された。
2009年(平成21年12月)
現在の伽藍(寺の建物、庭など全て)が新築された。
現住職 松久宗清和尚は万松院13代目住職である。
妙心寺・南門
万松院の本山は京都市右京区花園にある『妙心寺』というお寺です。広さにして東京ドーム約7個分、その境内には40もの塔頭が建つ、とても広いお寺です。臨済宗妙心寺派のお寺は、全国3400ヵ寺もあり、北は北海道、南は沖縄、海外はアメリカのハワイやロサンゼルス、スイスのチューリッヒ、台湾にと国際的に広がっています。インドの菩提達磨大師様から中国の臨済義玄禅師様を経て、妙心寺開山無相大師様へと受け継がれてきた一流の禅を宗旨・教義としている臨済宗妙心寺派の大本山です。
花園会館(妙心寺のホテル)
詳しくは妙心寺のHPもご覧になってみてください。
また、どなたでもお気軽に宿泊が可能な妙心寺が運営しているホテル花園会館や妙心寺の向かいにある精進料理専門のお店阿じろもご覧になってみてください。
花園会館 http://www.hanazonokaikan.com/
阿じろ http://www.ajiro-s.co.jp/
仏さまをお祀りしている場所です。
ここで仏さまにお参りをします。
告別式や法要を行うことができます。
花園会、坐禅会も本堂で行っています。
告別式や法事を行うことができます。
法事を行う場合、法要後に食事の場所としても使用することができます。
写真は法事を行う際の様子です。
お亡くなりになった方をお寺にて安置することができます。
遺骨・位牌をお預かりする場所です。
一時預け、永代預けがございます。
万松院境内に1階駐車場と2階駐車場、少し離れた道路沿いに第2、第3、第4駐車場がございます。
第2、第3、第4駐車場は普段は停めることができません。